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◆Twitterはhttps://twitter.com/hanahono
新都社で漫画を描いています
・「ひとりぼっちのケリル」(2012/12/14更新・連載中)
・「nikako―ニカコ―」(2014/02/18更新・連載中)
・「ふわ〜り」(2010年夏ホラー漫画企画作品)
◆絵本(新都社文芸)
・「チャリティー・マラソン」(2012/08/31 読切)

2005.08.28

詩99

あとで寝床で
しり触らせてくれよな

とおには言った
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posted by はなほの at 21:15 |
2005.08.26

詩98

わーい暴風雨だ
みんな遊べ!!
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posted by はなほの at 00:45 |
2005.08.25

詩97

動物のように
真面目だねお前は
馬だお前は

とおには言った
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タグ:
posted by はなほの at 21:30 |
2005.08.23

詩96

お前の
台所に立ってる時の
しりが好きさ

とおには言った
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posted by はなほの at 22:00 |
2005.08.21

詩95

昨日見た
感動したこと
何度も思い出すよ
おもしろかったね
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タグ:
posted by はなほの at 00:30 |
2005.08.13

詩94

君となら
君としたことなら
全部おもしろかった
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posted by はなほの at 09:00 |
2005.08.11

CGイラスト:ぎゃはは

ぎゃはは

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posted by はなほの at 04:20 | gifイラスト
2005.08.09

雷で日本人を理解した(画像:サイアクだなこりゃ……。)

昨日夕方になる前くらいに、短い間だったけどすっごい雷鳴ってて怖かったなー。その時ちょうど二人で寝てて、外で風がごーごー鳴ってて真っ暗だったから夜かと思って「あっ洗濯物が!!」となって飛び起きた。洗濯物を慌てて取り込んだらすぐに大雨が降り始めたので「間に合ってよかった〜」と言ってベッドに戻ったら、雷がかなり激しく鳴り始めて、停電で扇風機も止まったりしたので、どきどきしながら「神さま…!!」と心の中で祈りつつ、ちょっと冷静に「こういう時自分は神さまに祈るのだな」と思った。

学校とか、自分にとって居心地の悪い場所にいる時は、こういう災害が起こりそうな感じってすごい嬉しいんだけどな。自分の家で安心してみん太と二人で裸で寝てる時には、うちに雷落ちて火事になったらどうしよう…と無性に怖い。何も起きないことを心から願う。
地震の時もすっごい嫌だな。学校で地震があっても自分が死ぬような気がしないのに、家にいたら死にそうな気がする。家の中で服着てないから、外に逃げる時もこのまま出る訳にもいかないし…とか思ってる間に潰されたりして。

よく夢の中で大地震、津波、火山の噴火など、自然災害に遭うんだけど、そういう時私は人を掻き分けて逃げる。きっと現実にもそうするのだろうと思う。自分ひとりが助かるためなら躊躇がない気がする。(そういう奴なんだ私は…。)でも自分のとても大事な相手がいたり、我が身をかえりみず私を助けてくれようとする相手が一緒だったら、そういう行動は取れないんだろうな。だからみん太と一緒にいる時には、ひとりでいる時とは違った意味で不安が大きいし、恐ろしいことが起きないことを願う。

雷が鳴ってる間、じっとしながら色んなことを考えた。もし近所に雷が落ちて火が出たら逃げなきゃ…などと考えてるんだけど、そういう事態が起きないことをひたすら祈るだけ。窓が光って、すぐに轟音が鳴り響くとやたらに怖い。早く去ってくれと願う。ここから雷が去るってことは隣の地域に移動するってことな訳だけど、しょうがないんだよね。光ってから音がするまでが長くなってくれると「よし、行った!」ってすごい嬉しいんだもん。危ないものは早く遠ざかってくれって。で、この感覚がまさに日本人の根幹にあるものなんだな、ということをしみじみ理解したような気がした。

天災っていうのは無差別であるから、相当運が悪ければ犠牲になるけれど、安全を考えて備えておけばそうそう悪い目には遭わない。それだけの話で、そこには個人の正義なんて必要ない。
イラクで日本人が人質になった時に、そういう狭い日常の感覚で「自分から災いに巻き込まれに行った」「何であんな無謀なことするのか」と白い目で見る。同じ日本人が外国で怖い目に遭っている、何とか国をあげて救出しよう、と一致団結することはなかった。
日本人の意識としては、雷が鳴っているのにわざわざ落ちるような広いところや高いところに出て行くようなものだっていうような感覚なのかもしれない。人質になってしまった人が、どんな正義によって行動しているかなんて考える余地もない。
自分が絶対に安全な立場から、他人に対して平気で「自己責任で」なんて言ってしまう日本人の自覚のなさに、私は相当怒りを感じるけれど、とにかくそれだけ日本が平和であるっていうことは言える。それでその危機意識のなさから、危険を冒して正義をまっとうする人を平気で追い詰めてしまう国なんだ、日本は。

イラクの人質事件の時に、その当時結構気に入ってる旅のサイトとかあって見てたんだけど、世界中行ってるような人たちが「自分の身の安全は自分で守りましょう」とか「同じ旅人として今回の件は軽率だったとしか思えない」とか言ってるの見てものすごくがっかりした。「旅人として」だって。勘違いすんなって。自分とは違う意志を持って行動してる人間を、ごく狭い世間の感覚で自分がどうこう言えると思ってるのが本当にあさましい。何が世界旅行だよ、あほ!と思った。

『火垂るの墓』見てて思ったけど、もしかしたら日本人は空襲を受けても隣近所が同じ目に遭ってるのだから天災くらいの感覚だったのかもしれない。外国と戦争してるというのに。あの映画で、空襲の後の人々の会話で「自分のうちだけ燃え残ったんじゃご近所に申し訳ない。却って全部燃えてさっぱりした」みたいなセリフが入るんだけど、あんな戦争の非常時でさえ、世間というものが一番大きな秩序な訳だ。台風の後だったらそれでもいいだろう。でも、天災は無差別だが、人間の悪意はそれよりずっと恐ろしいものだ。

逆に自分が圧倒的大多数に差別されたり敵視されたりしていれば、どれだけ天変地異を味方に感じるだろうと思う。『火垂るの墓』で、世間の人に助けてもらえないばかりか、存在を疎まれて、ついに地域に住めなくなって野宿しながら盗みをしなくてはならなくなったお兄ちゃんが、空襲が来た時に人々が逃げる方向と逆行して、がらがらになった家から食べ物や衣服を盗みまくる。あそこで「どんどんやってくれ、自分をひどい目に遭わせたやつらを叩き潰してくれ」とばかりに、敵の空襲に大喜びする。その辺はかなりリアルな表現だったと思う。

ちょっと話が逸れるけど『火垂るの墓』についての感想。
原作は読んだことないから知らないんだけど、あの映画を見る限りでは、布団をころころと転がって妹を抱きしめるシーンは一番泣けますね。男の子が自分の存在の小ささというものを感じてしまって強烈に切なくなって、自分が誰か(母親のような存在)に抱かれたくなった時に、自分だけを頼りに生きている小さな妹を抱く。自分の存在を確かめるように、触れに行く。寝ていた妹は急に力強く抱き締められたので、驚いて「苦しい」と言って、そっけなく離れる。行き場を失った不安をひとりで噛みしめる。自分はどこまでも孤独を受け入れなくてはならない。
映画の冒頭からもうお兄ちゃんは死んでる訳だけど、あれは最後まで観ると、戦争で被災して餓死した訳じゃなさそうということがわかる。(解釈間違ってるかもしれません。)おそらく妹を守るために頑張ってきたけど、最後は目的を失って力尽きてしまうんだね。女が(子供を産む存在だから)自分が守られて当然、生き延びて当然と感じているのと同じように、男は守るべきものを守って当然、それが果たせなかったら倒れてしまうほど、自分以外のものの為に生きるというプログラムがあるんだろうと思った。
『火垂るの墓』の話は余談だったんだけど、最近あれを見てから随分いろんなことを考えてしまったので書いた。
サイアクだなこりゃ……。
画像:サイアクだなこりゃ……。
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posted by はなほの at 11:45 | らくがきと文章
2005.08.03

詩93

訳わかんないまま死にたくない
訳わかんないまま死にたい
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posted by はなほの at 20:45 |
2005.08.01

本が読めるようになって楽しい!(画像:アレ?ここは…)

最近読書がはかどっている。私は子供の頃からまったく本が読めなかったので、人生で初めて読書に集中できているかもしれない。二人でベッドの上でずーっといろんな本を手に取りながらぐるぐると読んでいる。(みん太はもともと読書好きな方なので、私も静かに読んでいると安心して読書に集中できると喜んでいる。話しかけないからだった。)
前は、文字を追っていてもせいぜい2行くらいで虚ろになり、関係ないことを思い始めてしまい、ほとんど文章全体を理解することが不可能だったので、すっごいコンプレックスでもあったんだけど。これでよく大学受験を通ったなと思う。制限時間で現代文や英文を読むなんて、気が散りまくって無理!

小学生の時も、読書感想文お姉ちゃんに書いてもらってたし。本当に薄っぺらい子供用の絵本とかも全然読めなかったので、誰でも知ってる絵本とか今でもまったく分からない。話についていけない。あと子供の時はテレビもまったく見なかった。母親が子供の番組をつけても私はまったく反応しなかったらしい。とにかく床に置いた紙にお絵かきとかして自分の世界にこもっていたらしい。そんな感じで、中学生や高校生になっても周りの人の喋っていることが全然わからず、もう死んだ方がいいのかなと思っていたけど、私はやっぱりちょっとある種の自閉症だったのかもしれない。

そういう訳で私は、本を読んだり、情報に触れたり、新しいことを学んだりすることに無関心なことを相当気にしてたんだけど、この歳になって急に読書がはかどるようになったのがとっても嬉しいのです!
今もし私みたいに「本当はいろいろ知りたいのに、文字を読んでも気が散って頭に入らない…、う、う…」と嘆き、「怠けてばかりで人生をつかみ損なっているのでは……もやもや」と不安になっている人がいたら、大丈夫です、必ず集中できる時期が訪れるので、自分にとって楽しいことから先にやって下さい!(人に怠けてると思われるだろうが…。)あと自分は要領よくできない少数派の人間であることを認めちゃった方がいいね。その代わり好きなことをやり尽くした後に芽生える探究心は普通の人の何十倍もすごいはず!
それとまあ、人間はみんな勝手に生きてるだけだから、あんまり他の人の言うことやすることを気にしないことだよね。自分にとって一番面白いことなんて、自分で見つけるしかないんだもん。
(自分が若かった時にそう言われても、聞く耳持ったかどうか分からんけど…。こういうこと言う大人は結構いて「うるせえ、てめえに何がわかる」と思っていたかもしれん。でも、本当なんだよ〜。)

最近しみじみと実感するのは、自分の欠落や不全感を埋めたいと思っている人ほど、できる仕事の量が大きいんじゃないか、ということ。(自己否定がいいことという話ではなく。)苦手なことや恐怖を克服した時の充実感ってその人間だけの確かな感覚なんだよね。だからやっぱり渇望があるほど喜びの密度も高いっていうことは言えると思う。

最近ある夢を見て(夢の話ばっかりだが)、起きた時にものすごく幸せな気分が続いていたということがあった。その夢では学校の遠足か何かで夜の遊園地にいる。学校関係の夢っていう時点で大抵あんまりいい夢じゃないんだけど、その時は個人的ないい体験をすることになる。
フライングカーペットの軸から伸びてる腕がものすごい長いやつ(自分の乗ってるところの描く円がすっごいでかい。しかも早い)みたいな乗り物に乗る(夢だからね)。現実には私はこういう上下する乗り物が死ぬほど怖い。友達と一緒にとりあえず並ぶが、動き始めてから必ず後悔する、という感じ。
それでその乗り物があっと言う間に頂上までいくんだけど、そこで体はがちがちに緊張しちゃって、いつもだったらなるべく自分であることを諦めて(つまり意識を頭からなるべく追い出して恐怖を感じないようにして)ただこの時間が過ぎるのを待つだけなんだけど、ふと「目を開けてみよう」と思う。「ちゃんとこの時間を積極的に味わおう」って。

で、こわごわ目を開けてみると、視界が真下からずっと遠くまで広がってて、その景色が夜の闇の中に無数の灯りで浮かび上がっていてものすごく感動的なの。遊園地の灯りって幻想的で特別な感じなんだけど、その空間もこの視点からは自分の見える範囲で終わっていて、外には森やら住宅やビルや普通の白い街灯なんかも点々と見えてて、何か世界の裏を見ちゃってるっていうか、夢の壊れる感じと同時に神の視点で現実を眺め渡してるような妙な感覚に到達しちゃうんだよね。

ああ、自分は今、ものすごい巨大な力を借りて、世界を上から見て、揺さぶられている、空気を掻き分けて風を感じる…。両側に座った友達がきゃーきゃー言ってる声も遠くに聞こえて、私は静かに興奮して、この瞬間すべてを大事に感じようと思って陶酔している。
それもすごく余裕がある訳じゃなくて、かなり怖いんだけど、体に感じる違和感もすごいんだけど、何とか目を開けていられる、ぎりぎり楽しめる。これなら大丈夫、気持いいー!って感じ。

あんなに怖かったのに、いつも頭の中を真っ白にして不安と戦ってたのに、今私は恐怖ではなく喜びを感じている。もう、最高。今、怖いものなんかない。自分を手に入れた。苦しみが充実感と感動と達成感と希望と、次の課題を克服したいっていう勇気と自分への期待で満たされている。
そういう感じで目が覚めた。もともとこういう乗り物が好きな人は「?」って感じだろうけど、苦手を克服する感覚ってやっぱり自分だけのものなんだよね。

この稿は、じつは夢のことを語るつもりではなかった。それぞれの民族が持つ子供性のことを書くべく、その橋がかりとして最近の読書ブームおよびはなほのがどれだけ読書嫌いだったかということをのべたのだが、ここで紙数が尽きた。
(司馬の『この国のかたち』を形だけ真似した。こんなに脈絡なく言う訳ないんだけど…。あと「それぞれの民族が持つ子供性」っていうのは私が勝手に書こうとしてただけなんだけど。『この国』は、私なんぞが言うのもおこがましいけど、ひとつひとつがめちゃくちゃ豪華で面白くて、すごい洞察や裏付けがないと書けないことなのに、ときどき導入と終わりがさらっとしてるのがあって、ブログみたいな感じなのがかっこいい!)
アレ?ここは…
画像:アレ?ここは…
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posted by はなほの at 22:30 | らくがきと文章