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新都社で漫画を描いています
・「ひとりぼっちのケリル」(2012/12/14更新・連載中)
・「nikako―ニカコ―」(2014/02/18更新・連載中)
・「ふわ〜り」(2010年夏ホラー漫画企画作品)
◆絵本(新都社文芸)
・「チャリティー・マラソン」(2012/08/31 読切)

2005.09.11

エンマコオロギと月光ソナタ(画像:夏の一日)

毎日いろんなこと書こう書こうと思うんだけど、暫く日記から離れちゃうとどうも書く勇気がなくなってしまう…。実に感動的なことや、面倒なことや、急に分かったような気がしたことや、憂鬱なことなど、とにかく人間は日々生きているだけでいくらでも言いたいことはあるんだけど、何かね〜、どうしても書く気にならない時期というのがあるのだね。
まあ最近はほんのちょっと本を読んだりもするので、アウトプットよりもインプットの時なのかもしれないんだけど。本と言っても、平気で30年くらいとかそれ以上昔の本だったりするし、テレビを見ていても疲れるだけで、新しい情報に晒されるのがすっかり嫌になってしまって…。何だかもうこうしていても切なくなる一方というかねえ。でも食生活はみん太のお陰でものすごく充実している。最近特にすごいのが麺もスープもすべて手作りの本格ラーメン!昔はしょっちゅうラーメン屋に入っていたけど、手作りの方が全然美味しいや。(手間はかかるけど。)

最近面白かったことといえば1週間くらい前にうちの中に迷い込んだエンマコオロギが、暗くなると「りりりりりり…」と鳴き始める音が何とも感動的だったの!本当に今の季節は外で鳴いてる音もよく聴こえるんだけど、たった一匹同じ部屋の中で鳴くだけで信じられないほどでかい音で響くんだね。知らなかった。
別にこういうのって珍しいことじゃないんだろうけど、私はうちからほとんど出ない子だったから虫と触れ合うことが全然なかったし、うちの中に虫がいるってことが昔はすごい非常事態だったので、今却って新鮮で楽しいのだった。(子供の頃部屋にとんぼが迷い込んだんだけど、それがものすごいでっかく見えて異常に怖かった。)
初めはエンマコオロギっていう名前も知らなかったから、ネットで調べて鳴き声を聴いてみて分かった。しかもこの音は「コロコロリーリリー」と表記してあったので何かすごいなと思った。確かにそういう独特のリズムがあるんだけど、あの音を「コロコロ」と表現するとはね。

そのエンマコオロギがうちに迷い込んでからというもの、夕方から明け方まで毎日鳴き続けるのでまったく楽しかった。初めの2日くらいはあんまり鳴かなかったんだけど、ラジオの音とかに反応して鳴くことに気づいたので、いろいろ聴かせてみようとか言って、ベートーベンの月光ソナタをかけたらものすごい鳴き始めてすごかった!それから蛍光灯を消して暗くした方が盛んに鳴くことが分かったので、真っ暗な中で月光ソナタとコオロギの激しい掛け合いを二人でしみじみと鑑賞してしまった。す、すごい、なんて風流!!あれ、本当に不思議だな。ちゃんと強弱やリズムに反応してるみたいだったもん。

うーん、この贅沢な時間をくれたエンマコオロギに感謝せずに何に感謝しろというのだろうか…。しかし夕方鳴き始めるのを楽しみにしていながらも、こいつはこのままうちの中から出られなかったら、こんなに真面目に鳴いているのに繁殖できないから出してやらなきゃ…と言ってるうちに6日目くらいから音が聴こえなくなってしまった。う、ごめんよ…。実は何回か見かけたんだけど、今夜も聴かせてほしいな〜と思って外に出さなかったのだった。

一回エンマコオロギに親しみを持ってしまったので、外で鳴く虫の音もエンマコオロギだけが特別に聴こえるようになってしまった。本当にいい音色なんだもの。顔もかわいい!こういう風にして虫とか動植物にだんだん詳しくなれればいいんだけどな。
そろそろ旅行に出られそうな気がするんだ。何で普通に旅行くらいできないの?って思われるだろうけど、すっごい臆病で怠け者なので、なかなか踏み出せないのだった。でもようやくパスポートの申請できたし、後は受け取りに行くだけ!いや〜、本当に子供でもできるこういう役所の手続きが気が重くて重くて…。何なんだ私は。
夏の一日
画像:夏の一日
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posted by はなほの at 22:00 | らくがきと文章
2005.08.09

雷で日本人を理解した(画像:サイアクだなこりゃ……。)

昨日夕方になる前くらいに、短い間だったけどすっごい雷鳴ってて怖かったなー。その時ちょうど二人で寝てて、外で風がごーごー鳴ってて真っ暗だったから夜かと思って「あっ洗濯物が!!」となって飛び起きた。洗濯物を慌てて取り込んだらすぐに大雨が降り始めたので「間に合ってよかった〜」と言ってベッドに戻ったら、雷がかなり激しく鳴り始めて、停電で扇風機も止まったりしたので、どきどきしながら「神さま…!!」と心の中で祈りつつ、ちょっと冷静に「こういう時自分は神さまに祈るのだな」と思った。

学校とか、自分にとって居心地の悪い場所にいる時は、こういう災害が起こりそうな感じってすごい嬉しいんだけどな。自分の家で安心してみん太と二人で裸で寝てる時には、うちに雷落ちて火事になったらどうしよう…と無性に怖い。何も起きないことを心から願う。
地震の時もすっごい嫌だな。学校で地震があっても自分が死ぬような気がしないのに、家にいたら死にそうな気がする。家の中で服着てないから、外に逃げる時もこのまま出る訳にもいかないし…とか思ってる間に潰されたりして。

よく夢の中で大地震、津波、火山の噴火など、自然災害に遭うんだけど、そういう時私は人を掻き分けて逃げる。きっと現実にもそうするのだろうと思う。自分ひとりが助かるためなら躊躇がない気がする。(そういう奴なんだ私は…。)でも自分のとても大事な相手がいたり、我が身をかえりみず私を助けてくれようとする相手が一緒だったら、そういう行動は取れないんだろうな。だからみん太と一緒にいる時には、ひとりでいる時とは違った意味で不安が大きいし、恐ろしいことが起きないことを願う。

雷が鳴ってる間、じっとしながら色んなことを考えた。もし近所に雷が落ちて火が出たら逃げなきゃ…などと考えてるんだけど、そういう事態が起きないことをひたすら祈るだけ。窓が光って、すぐに轟音が鳴り響くとやたらに怖い。早く去ってくれと願う。ここから雷が去るってことは隣の地域に移動するってことな訳だけど、しょうがないんだよね。光ってから音がするまでが長くなってくれると「よし、行った!」ってすごい嬉しいんだもん。危ないものは早く遠ざかってくれって。で、この感覚がまさに日本人の根幹にあるものなんだな、ということをしみじみ理解したような気がした。

天災っていうのは無差別であるから、相当運が悪ければ犠牲になるけれど、安全を考えて備えておけばそうそう悪い目には遭わない。それだけの話で、そこには個人の正義なんて必要ない。
イラクで日本人が人質になった時に、そういう狭い日常の感覚で「自分から災いに巻き込まれに行った」「何であんな無謀なことするのか」と白い目で見る。同じ日本人が外国で怖い目に遭っている、何とか国をあげて救出しよう、と一致団結することはなかった。
日本人の意識としては、雷が鳴っているのにわざわざ落ちるような広いところや高いところに出て行くようなものだっていうような感覚なのかもしれない。人質になってしまった人が、どんな正義によって行動しているかなんて考える余地もない。
自分が絶対に安全な立場から、他人に対して平気で「自己責任で」なんて言ってしまう日本人の自覚のなさに、私は相当怒りを感じるけれど、とにかくそれだけ日本が平和であるっていうことは言える。それでその危機意識のなさから、危険を冒して正義をまっとうする人を平気で追い詰めてしまう国なんだ、日本は。

イラクの人質事件の時に、その当時結構気に入ってる旅のサイトとかあって見てたんだけど、世界中行ってるような人たちが「自分の身の安全は自分で守りましょう」とか「同じ旅人として今回の件は軽率だったとしか思えない」とか言ってるの見てものすごくがっかりした。「旅人として」だって。勘違いすんなって。自分とは違う意志を持って行動してる人間を、ごく狭い世間の感覚で自分がどうこう言えると思ってるのが本当にあさましい。何が世界旅行だよ、あほ!と思った。

『火垂るの墓』見てて思ったけど、もしかしたら日本人は空襲を受けても隣近所が同じ目に遭ってるのだから天災くらいの感覚だったのかもしれない。外国と戦争してるというのに。あの映画で、空襲の後の人々の会話で「自分のうちだけ燃え残ったんじゃご近所に申し訳ない。却って全部燃えてさっぱりした」みたいなセリフが入るんだけど、あんな戦争の非常時でさえ、世間というものが一番大きな秩序な訳だ。台風の後だったらそれでもいいだろう。でも、天災は無差別だが、人間の悪意はそれよりずっと恐ろしいものだ。

逆に自分が圧倒的大多数に差別されたり敵視されたりしていれば、どれだけ天変地異を味方に感じるだろうと思う。『火垂るの墓』で、世間の人に助けてもらえないばかりか、存在を疎まれて、ついに地域に住めなくなって野宿しながら盗みをしなくてはならなくなったお兄ちゃんが、空襲が来た時に人々が逃げる方向と逆行して、がらがらになった家から食べ物や衣服を盗みまくる。あそこで「どんどんやってくれ、自分をひどい目に遭わせたやつらを叩き潰してくれ」とばかりに、敵の空襲に大喜びする。その辺はかなりリアルな表現だったと思う。

ちょっと話が逸れるけど『火垂るの墓』についての感想。
原作は読んだことないから知らないんだけど、あの映画を見る限りでは、布団をころころと転がって妹を抱きしめるシーンは一番泣けますね。男の子が自分の存在の小ささというものを感じてしまって強烈に切なくなって、自分が誰か(母親のような存在)に抱かれたくなった時に、自分だけを頼りに生きている小さな妹を抱く。自分の存在を確かめるように、触れに行く。寝ていた妹は急に力強く抱き締められたので、驚いて「苦しい」と言って、そっけなく離れる。行き場を失った不安をひとりで噛みしめる。自分はどこまでも孤独を受け入れなくてはならない。
映画の冒頭からもうお兄ちゃんは死んでる訳だけど、あれは最後まで観ると、戦争で被災して餓死した訳じゃなさそうということがわかる。(解釈間違ってるかもしれません。)おそらく妹を守るために頑張ってきたけど、最後は目的を失って力尽きてしまうんだね。女が(子供を産む存在だから)自分が守られて当然、生き延びて当然と感じているのと同じように、男は守るべきものを守って当然、それが果たせなかったら倒れてしまうほど、自分以外のものの為に生きるというプログラムがあるんだろうと思った。
『火垂るの墓』の話は余談だったんだけど、最近あれを見てから随分いろんなことを考えてしまったので書いた。
サイアクだなこりゃ……。
画像:サイアクだなこりゃ……。
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posted by はなほの at 11:45 | らくがきと文章
2005.08.01

本が読めるようになって楽しい!(画像:アレ?ここは…)

最近読書がはかどっている。私は子供の頃からまったく本が読めなかったので、人生で初めて読書に集中できているかもしれない。二人でベッドの上でずーっといろんな本を手に取りながらぐるぐると読んでいる。(みん太はもともと読書好きな方なので、私も静かに読んでいると安心して読書に集中できると喜んでいる。話しかけないからだった。)
前は、文字を追っていてもせいぜい2行くらいで虚ろになり、関係ないことを思い始めてしまい、ほとんど文章全体を理解することが不可能だったので、すっごいコンプレックスでもあったんだけど。これでよく大学受験を通ったなと思う。制限時間で現代文や英文を読むなんて、気が散りまくって無理!

小学生の時も、読書感想文お姉ちゃんに書いてもらってたし。本当に薄っぺらい子供用の絵本とかも全然読めなかったので、誰でも知ってる絵本とか今でもまったく分からない。話についていけない。あと子供の時はテレビもまったく見なかった。母親が子供の番組をつけても私はまったく反応しなかったらしい。とにかく床に置いた紙にお絵かきとかして自分の世界にこもっていたらしい。そんな感じで、中学生や高校生になっても周りの人の喋っていることが全然わからず、もう死んだ方がいいのかなと思っていたけど、私はやっぱりちょっとある種の自閉症だったのかもしれない。

そういう訳で私は、本を読んだり、情報に触れたり、新しいことを学んだりすることに無関心なことを相当気にしてたんだけど、この歳になって急に読書がはかどるようになったのがとっても嬉しいのです!
今もし私みたいに「本当はいろいろ知りたいのに、文字を読んでも気が散って頭に入らない…、う、う…」と嘆き、「怠けてばかりで人生をつかみ損なっているのでは……もやもや」と不安になっている人がいたら、大丈夫です、必ず集中できる時期が訪れるので、自分にとって楽しいことから先にやって下さい!(人に怠けてると思われるだろうが…。)あと自分は要領よくできない少数派の人間であることを認めちゃった方がいいね。その代わり好きなことをやり尽くした後に芽生える探究心は普通の人の何十倍もすごいはず!
それとまあ、人間はみんな勝手に生きてるだけだから、あんまり他の人の言うことやすることを気にしないことだよね。自分にとって一番面白いことなんて、自分で見つけるしかないんだもん。
(自分が若かった時にそう言われても、聞く耳持ったかどうか分からんけど…。こういうこと言う大人は結構いて「うるせえ、てめえに何がわかる」と思っていたかもしれん。でも、本当なんだよ〜。)

最近しみじみと実感するのは、自分の欠落や不全感を埋めたいと思っている人ほど、できる仕事の量が大きいんじゃないか、ということ。(自己否定がいいことという話ではなく。)苦手なことや恐怖を克服した時の充実感ってその人間だけの確かな感覚なんだよね。だからやっぱり渇望があるほど喜びの密度も高いっていうことは言えると思う。

最近ある夢を見て(夢の話ばっかりだが)、起きた時にものすごく幸せな気分が続いていたということがあった。その夢では学校の遠足か何かで夜の遊園地にいる。学校関係の夢っていう時点で大抵あんまりいい夢じゃないんだけど、その時は個人的ないい体験をすることになる。
フライングカーペットの軸から伸びてる腕がものすごい長いやつ(自分の乗ってるところの描く円がすっごいでかい。しかも早い)みたいな乗り物に乗る(夢だからね)。現実には私はこういう上下する乗り物が死ぬほど怖い。友達と一緒にとりあえず並ぶが、動き始めてから必ず後悔する、という感じ。
それでその乗り物があっと言う間に頂上までいくんだけど、そこで体はがちがちに緊張しちゃって、いつもだったらなるべく自分であることを諦めて(つまり意識を頭からなるべく追い出して恐怖を感じないようにして)ただこの時間が過ぎるのを待つだけなんだけど、ふと「目を開けてみよう」と思う。「ちゃんとこの時間を積極的に味わおう」って。

で、こわごわ目を開けてみると、視界が真下からずっと遠くまで広がってて、その景色が夜の闇の中に無数の灯りで浮かび上がっていてものすごく感動的なの。遊園地の灯りって幻想的で特別な感じなんだけど、その空間もこの視点からは自分の見える範囲で終わっていて、外には森やら住宅やビルや普通の白い街灯なんかも点々と見えてて、何か世界の裏を見ちゃってるっていうか、夢の壊れる感じと同時に神の視点で現実を眺め渡してるような妙な感覚に到達しちゃうんだよね。

ああ、自分は今、ものすごい巨大な力を借りて、世界を上から見て、揺さぶられている、空気を掻き分けて風を感じる…。両側に座った友達がきゃーきゃー言ってる声も遠くに聞こえて、私は静かに興奮して、この瞬間すべてを大事に感じようと思って陶酔している。
それもすごく余裕がある訳じゃなくて、かなり怖いんだけど、体に感じる違和感もすごいんだけど、何とか目を開けていられる、ぎりぎり楽しめる。これなら大丈夫、気持いいー!って感じ。

あんなに怖かったのに、いつも頭の中を真っ白にして不安と戦ってたのに、今私は恐怖ではなく喜びを感じている。もう、最高。今、怖いものなんかない。自分を手に入れた。苦しみが充実感と感動と達成感と希望と、次の課題を克服したいっていう勇気と自分への期待で満たされている。
そういう感じで目が覚めた。もともとこういう乗り物が好きな人は「?」って感じだろうけど、苦手を克服する感覚ってやっぱり自分だけのものなんだよね。

この稿は、じつは夢のことを語るつもりではなかった。それぞれの民族が持つ子供性のことを書くべく、その橋がかりとして最近の読書ブームおよびはなほのがどれだけ読書嫌いだったかということをのべたのだが、ここで紙数が尽きた。
(司馬の『この国のかたち』を形だけ真似した。こんなに脈絡なく言う訳ないんだけど…。あと「それぞれの民族が持つ子供性」っていうのは私が勝手に書こうとしてただけなんだけど。『この国』は、私なんぞが言うのもおこがましいけど、ひとつひとつがめちゃくちゃ豪華で面白くて、すごい洞察や裏付けがないと書けないことなのに、ときどき導入と終わりがさらっとしてるのがあって、ブログみたいな感じなのがかっこいい!)
アレ?ここは…
画像:アレ?ここは…
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posted by はなほの at 22:30 | らくがきと文章
2005.07.24

アニメを作ろうと思う(画像:会田雄次)

これからは更新のペースを少し下げようと思っています。あ、切ない…。そのことは昨日の朝決めたばっかりなんだけど。
理由はいくつかあるんだけど、まずひとつには、去年の12月にブログを始めてから、いつも今日の更新はどうしようということばかり考えていて、ストックがない時はそれ以外のことにあんまり時間を割けなくなっていたということ。昔作ったものを少しずつ出していってたから、全部一から作っていた訳じゃないんだけど、今の自分が一応納得できる形にすることが必要だったので、やっぱり毎日欠かさず更新するのはそれなりに気合がいるのだった。

そろそろ新しいことをやりたかったので、ずっと前から気になっていたアニメを作ろうかなと思ったところ。前に1回手をつけたことあったんだけど、あの頃は解説がなかなか頭に入らなくて、結局すぐに放り出してしまった。新しいソフト使えるようになるまでってすっごいストレス感じちゃってたんだけど、今なら前よりも楽しめそうな手応えがあるので、また挑戦しようと思って。初めのうち訳わかんないから難しく感じるのは当たり前だし、それよりも便利なソフトを開発してくれてる人や、丁寧に解説してくれてる人の仕事に敬意を払って、謙虚な気持で学ぼうと思う。(少し成長した!)

それからずっと前に、「そろそろ海外旅行をする予定」ということを日記で書いたんだけど、実はまだパスポートも取っていないのです…。ダメ人間!!友達にもメールで「そのうち出る予定」とか言ったので、私たちがもう旅行に出たんだと思って「今どこにいるの?」とかいうメールをくれたりするんだけど、「家…」とは言えずどうしたものかと思ってるんだよね。(まあ言うけど。)
それにしても本当にあの時は二人で「すぐ出よう!」と言ってすごいのってたんだけど、その後さまざまな違うブームが来て、どんどん気分が変わって、そのうちに月日は経っていた…。
パスポート用の写真とか住民票とかの準備が死ぬほど面倒だとか思って、何となく気が乗らずに過ごしているうちに写真も自署もデータの添付でよくなったし、住民票もコードだけで書類の必要なくなっていた。(時代も変わっていた!)
手続きというものは本当に気が重い。喜んでやる人(よくいるけど)の気が知れん。でもそんなこと言ってたら人生がなかなか前に進まないので、頑張って今こそやるしかない!

あと更新のペースを落とそうと思っているもうひとつの理由としては、PCにかじり付いている時間がどうしても長くなってしまうために、しばしば(often)視神経が痛くなるということ。
メリハリをつけて生活してればいいんだけど、今日は何を載せようか…とか考えながら、逃避してだらだらと関係ないページを見たりしつつも、更新しそびれることが不安でPCの前から離れられないんだよね。私なんかよりもずっと長時間PCにはり付いて仕事したり遊んだりしてる人はいっぱいいるだろうけど、私はど近眼なのでついついモニタにものすごい顔をくっ付けて作業しちゃうんだよね。
今この文章はノートパソコンで書いてるんだけど、液晶だから目には全然きつくないし、テキスト打つだけなら全然顔離してできるからいい。しかしこっちのPCは画像扱うには向かなかった。14インチなので狭すぎるし、液晶が結構粗いからだった。
メインの方は21インチのCRTなので画像処理には最適!本当に便利。しかし、最近すぐ目が充血するのであんまり近寄れなくなっている。
視神経痛は結構深刻に辛いんだよね。眼球がずきずきしてきて、頭も痛くなるし、ひどい時にはモニタの電源入れるだけで気分が悪くなってくる。何か鏡で見ると最近眼球がせり出てきてる気がするし。眼球突出という言葉があるらしい。怖い。せっかく近眼治そうと思って目の運動してるのに!もっと遠くを見て暮らしたいよー。

そういう訳で、これから更新が空く日もあるかと思いますが、よろしくお願いします。今まで毎日楽しみにして見に来てくれてた方、どうもありがとう!!
これで少し気が楽になったら、また毎日更新することになるかもしれないし、どんどん新しい内容にしていけたらいいなと思っています。とは言え、一日ひとつ更新することで、今までリズムができていたので、その基準を変えることは結構勇気のいることだった。しかし、変化は自分で起こしていくしかないからね。
同じこと続けててももう頭打ちだからな。今までよりも面白くするためには、どんどん破壊していかなきゃならないし。どんなことをやるにせよ、Webで公開していくつもりなので、よろしくね!(こんなこと言っててまた気分が変わったらはずいんだけど…)
会田雄次
画像:会田雄次
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posted by はなほの at 18:30 | らくがきと文章
2005.07.14

最近よく見る夢-その3、その4-(画像:落書き)

昨日に続いてよく見る夢の内容。思い出そうと思っても漠然としてて全然実態がつかめない記憶ほど、夢の中ではリアルに再現されるんだよね。家族の夢か、学校の夢ばっかりだもん。

その3《全然好きじゃない男の子とキスする夢》

学校とかで、私はいつもみんなとすぐ友達になったりできないから、入学式とかクラス替えとか、本当にいつも地獄。どう振舞ってればいいのか分からなくて、頭が狂いそうになる。(て言うか、死にたい…。)ある程度大人になると、集団が自分の扱いを決める瞬間を利用しなくてはと思い、どう演じるかという方針を決めることになる。
集団に「余裕のある自分」の演技が通用しないようだったら、初めから気が小さくて駄目な自分を出して、そういう一段低いものとして可愛がってもらう。決して尊重されることはないけど、特別傷つけられることもない。
集団がある程度、自分のことを上に見ていて、演技が通用するようであれば、安心してそのまま明るい人として振舞う。まあこういうのも、絶対ばれてるんだけどね。陰で何言われるか。聞いたら傷つくのわかってるからな。
そんなことをやってるから、顔を出す場所によって人格が変わる人になる訳。部活では調子いいのにクラスでは冴えない人、みたいなね。ここまでは夢の前提(つまり現実)。
で、夢の中では集団に馴染めない私に、「自分も仲間外れだから…」みたいな態度で距離を詰めてくる男の子が出てくる。そいつも結局集団を馬鹿にしてる癖に、自分ははみ出し者だから悲愴な顔できるっていう態度を取るのが、私はすっごく気に入らないんだけど、そういう理由でも私のことを見て近づいてきてくれるってことがやっぱり嬉しい訳。だって、他の人は自分ひとりで私に話し掛けたりはしないから。女の子なんて、何人かまとまって同盟ができあがった後で、品定めしに来るから。
それで、教室の中でその男の子と仲良くなって、みんながわーわー騒いでる教室の隅でキスするんだけど。自分は性的に求められる存在なんだぞって主張したい訳。結局ちゃんと人気のある女の子は人前でそんなことしたがる訳ないんだから、こっちの心の動きはばればれなんだけど。それでもセックスを露出して、みんなが白けたら面白いなって思ってる。

その4《仲間と違う行動をとって批難される夢》

この夢は本当に繰り返し繰り返し見る。そこで出てくる人たちは現実にいた友達。私はみんなの仲間に入れてもらえることがすっごく嬉しいんだけど、いつもいつも心の底では全員にムカついてる。私以外に3人いるんだけど、ひとりがいつも尊敬されてて、残りのふたりはいつも場に従うだけ。そのリーダー格のひとりの意見に私が反対したくても、残りのふたりがいつも意見を持たないせいで、私の意見は絶対に尊重されない。残りのふたりがそれぞれにばらばらの主張がある上で、リーダー格と同じ意見なら私も諦めがつくけど、あのふたりはいつもどっちでもいいだけなんだもん。まあ今思えばふたりともすっごく育ちがいい人だったんだなって思うけど。あの時の私は何かに不満を持つことがないっていう人が全然信頼できなかった。だって私がそれを言い出した時にまったく聞いてくれないんだもん。日本人らしいっていうか、役人ぽいっていうか…。ここまでは前提(現実)。
夢の中ではいろんな場面があるんだけど、とにかく4人で団体行動している。旅館に泊まりに行ったりとか、買い物に行ったりとか、学園祭っていうのもあったな。それでみんなで食事して帰ろうっていうことになったりするんだけど、私はもう時間も勿体ないし、外食にお金使うのも嫌だったので「帰りたいな〜」って思ってる。
で、店に入って私以外の3人がそれぞれ注文する。私、人付き合いもあんまり多くないし、お店とかよく知らない訳。そこで何が人気メニューか、みたいのとかよくあるでしょ。ここに入ったらこれ食べる、みたいの。何かそういう感じで、みんなが同じようなもの注文してるの。で、私の番になるんだけど、面倒だから適当に「じゃあ、これ」って言って注文するんだけど、店員が「申し訳ありませんが、こちらはもう終わってしまったんです」って言う。
これ幸い、私は「それじゃあ私、帰るわ」ってみんなに言う。みんな驚いてふざけるなと言わんばかりに「え、帰るの!?」とか「こっちのやつ頼めばいいじゃん!」とか言ってるんだけど、私は「うん、もう時間も勿体ないし」って言って帰ってきちゃう。
気分よかったなー。相手がひとりだったら絶対しないけど、3人いりゃ十分でしょ。普段私の意見無視なのに、団体行動乱す時だけ怒るなんてひどくない?まあ現実の私はあの時ひとりになる勇気はなかった訳だけど。
この夢の話するとみん太は「分離に関わる夢だな」と言って成長を認めてくれるのだった。昔は同じ夢見ても、こんな展開にはならずいつも惨めに目覚めていたからな。本当に強くなってきた証拠だと思う!
落書き
画像:落書き
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posted by はなほの at 20:15 | らくがきと文章
2005.07.13

最近よく見る夢-その1、その2-(画像:お肌がキレイだからテカるんだよ。)

目が覚めると「あれ?また同じ夢見たな…」ということが多いので、最近特によく見る夢をまとめてみることにした。ここのところずっと昔より精神状態がよくて、よほど体調が悪い時以外は高いところから落ちる夢とか、刃物で襲われる夢などは見なくなった。夢って精神状態そのものだから、悪い夢が続くと本当に参るよね。何よりもリアルに自分の内面を見せられるから、本当に笑っちゃうくらい「私ってカッコ悪いな〜」って思ったりするし。自分だけ友達がいなくてすごい惨めだったりとか、他人のひと言で逆上したりとか…。
でもまあ、すごい鬱な夢の中にも、周りに屈せずに自分の意志を貫く場面があったりとか、自分が譲ることで問題を解決して達成感を得たりだとか、自分の成長を示唆するような嬉しいこともあるのです。とは言え、これってやっぱりちょっとした戦いだから、寝る時に「また夢を見るのかー、面倒だな…」とか思ったりするほど。疲れてるのに映画一本見なきゃならないみたいな気の重さがあるんだよね。

その1《みんなに見捨てられてる、死にかけてる赤ちゃんを蘇生させる夢》

これは不思議な夢なんだけど、ここ半年くらいかな、結構頻繁に見ているんだよね。赤ちゃんのことが多いんだけど、2歳くらいまでの小さな子供のこともある。夢の中では、自分の子供じゃない(親は別に出てくる)んだけど、私がその赤ちゃんとすごく仲良くなって、かわいいな〜って思ってお世話してる。
だけど途中でその子が病気か事故に巻き込まれて、瀕死の状態になる。その時の痛々しい赤ちゃんの姿を、いつも目が覚めてからも鮮明に覚えている。周りの大人たちは諦めてて、あんまり慌てた様子もない。私が助けないとこの子は死んじゃうんだ、と思う。
で、夢の中では病院に連れて行くっていうこともあったんだけど、その場で何とかしようとすることが多い。その辺はあんまり具体的じゃないんだけど、お腹をさすって水を飲ませたら、今までぐったりしていた赤ちゃんが泣き出したりして、「これで大丈夫だ、よかった」って思うみたいな感じとか…。(ディテールが曖昧だけど、とにかく蘇生したと確認する。)
私、実際には、子供に懐かれることはほとんどないのです。子供の頃から自分より年下の子が苦手で、親戚と会っても、お姉ちゃんは子供好きだからよく面倒見てすぐ懐かれるんだけど、私は何だか距離を取ってしまってとってもきまり悪い。母親が「○○ちゃんって呼んでみなさい、ほら」とか「このお菓子みんなにあげてきて」とか言って仕切るのがすっごい鬱陶しくて、そういうのに連れ回される度に世界が滅びますように…と心の中で祈っていたんだけど。
だからみんなが可愛がってる赤ちゃんを、自分がいとおしいと思ったり、守らなきゃと思ったりするっていう夢を見るなんて、昔だったら考えられなかったかもしれない。それに周りに人がいるのに、自分が何とかしなきゃって思うっていうことも、まさに最近自分の足で立って生きていこうって思い始めてからのことだろうな。

その2《自分の住んでる家のまだ知らなかったスペースを発見する夢》

この夢はとにかく多い。それが実家だったり、今住んでる家だったり、新しく引っ越したアパートだったり、架空の家だったりするんだけど、「あれ、使ってなかったけどこのドア開けたらこんなに広い部屋あるんじゃん!」とか「こんなに綺麗なトイレあったんだ!」とか「うちの実家の裏ってこんなに広い敷地があったんだ、すごい!!」とか。この夢すっごい楽しいんだよね。当たり前のように暮らしてた家にこんなに素晴らしい未知の場所が残っていたなんて!!ってすごい感動なんだもん。それで、「これからこのスペースを何に使おう!?」ってすっごいわくわくするの。
みん太にこの夢の話をしたら、「今まで使ってなかった脳の領域を使い始めたってことだね」と分析された。確かにそうかも。自分の中の忘れていたとか、ちょっとした特技とか好みとか、昔誰かに誉められたこととかをふいに思い出す時の「あれ、何でこんないいこと今まで忘れてたんだろう」っていう自分自身に対する新鮮な感じに似てるんだよね。

その3以降に続く予定。
お肌がキレイだからテカるんだよ。
画像:お肌がキレイだからテカるんだよ。
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posted by はなほの at 21:15 | らくがきと文章
2005.07.09

布ナプキンは気持いい!!(画像:じゃーん!)

今朝起きたら生理になっていたので、ついにケミカルナプキン時代に別れを告げて、布ナプキンを使う日がやってきた。と言うのも、前々から私がスーパーで普通の一番安い生理用ナプキンを「高い高い」と言いながら買う度に、みん太が「うちにいっぱい布あるんだから、あれに吸わせればいいんじゃないの?」と言っていたので、やっぱりそういう節約生活してる人いるのかな?と思ってネットで調べてみたら、既に布ナプキンというものが商品として売られていた。し、知らんかった…。

しかも調べるにつれて紙ナプキンに使われてる高分子吸収体というのが、体によくない上に、あれが気化熱を奪うせいで体が冷えて生理痛が余計ひどくなるのだということが分かった。それじゃあ、赤ちゃんの紙オムツなんてめちゃくちゃ悪いじゃん!!む、酷い!経済的な問題よりもはやそっちの方が重要だ。

生理の血がさらさらになるとか、生理痛が軽減されるなど、とても評判がいいらしいので、私も早速試してみました。まずはうちにあったガーゼっぽいハンカチ。前に洗濯したんだけど、結構シミがついてるので雑巾にでもしようと思ってたんだけど、ちょうどよかった!
布をあてて数分のうちに私はもう結論が出ました。布の方が断然よかった!!まず布は不快感がありません。比べると今までのケミナプは相当違和感があったということがわかりました。生理だから辛くてもしょうがないのかと思ってたけど、そんな風に諦めることはないのだった!
布にしたら温かいし、すいすいと染み込んでいって、濡れた感じはケミより全然ない。普通に吸い込んでるだけなのに不思議。ケミ要らないじゃん!!
生理痛は少しあるけど、冷や汗が出るような苦しさは今のところありません。やっぱりケミって、相当体を冷やしてたんだと思う。つまり穴から血を固める化学物質を体内に取り込むことにもなっていた訳だ。みんな当たり前のようにケミナプ使ってるけど、体への影響は深刻にまずいと思う。

思ってたよりすぐには染みないので、かなり長持ち。さっき2枚目のハンカチに替えて、1枚目のはすぐに洗ったんだけど、面倒というより何だか嬉しい気持になるから不思議だった。(何回もやってると多分面倒になってくるだろうけどね。)だって自分の体が快適になるために、すぐ洗って干して、また安心して使えるなんて、精神的にも気持いいので。
こういうことって実は大事な感覚なんだと思うんだよね。子供が生まれたら、自分のことのように(本当はそれ以上にと言うべきだろうが)、食事や新陳代謝や排泄など、快適な環境を保たなければならない訳でしょ。自分のこと後回しとか言うと聞こえはいいけど、親がもし自分自身に価値を感じることができない人間だとしたら、心地よさを手に入れるために手を掛ける意味が分からないはずなんだよね。それはまさに最近までの私。本当に生活することが面倒で面倒で…という感じだった。

とにかく私にとっては布ナプキンはいいこと尽くしなので、多分もうほとんどケミナプは買わないと思う。家にいない人はケミの方が楽だろうけど、もはや布ナプが普及することを願うのだった。私はお金がもったいないし、生理の時はうちにいるし、いらない古い布がたくさんあるので、結構適当にたたんだハンカチとかでいいと思ってるんだけど、せめて市販の布ナプを使ってほしい。結構高いけど。しかし構造は簡単なので作っている人も多いみたい。やっぱりそういう時代よね〜。

そもそも高校くらいまでは、生理でもマラソンとか水泳とか跳び箱とかやらされてたけど、冗談じゃないって。生理の時は動いちゃいけないんだから。生理中は水に入ると出るはずの於血(東洋医学でいう滞った汚れた血液)が体内に溜まるので、お風呂にだって入らない方がいいのに、プール入って泳いでどうすんの!
まったく冗談じゃないよ〜。殺されかかってるじゃん。まあ、そんなことばっかりだけどね、学校は。

とにかくまだ布を試してない人で、生理中にうちにいることができる人は、適当でもいいから古い布を小さくたたんで1回使ってみては!?「あれ、これは気持いい」って体でわかるよー。

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じゃーん!
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posted by はなほの at 23:29 | らくがきと文章
2005.07.07

手の話(画像:FLAPPY)

子供の時から、ご飯粒とか、糊とかを親指と人差し指ででこねこねとこねる癖がある。陰気だけど…。まあ、子供の頃にこれをやってた人は結構いるんだと思うけど。
ちょうどこねるものの表面が指に残らない程度に乾いている状態がかなり気持いい。ご飯粒は、お茶碗の中から乾き具合や固さやお米の形などの特に優れたものが見つかるので、それをこっそり取り出して食卓の下でこねこね…とやり始めるとすっごく落ち着くのだった。
大人になってからはそんなにやらなくなったんだけど、最近古いチューブ糊の蓋が開かなくなっちゃったのを無理やりねじったら、蓋がくっついたままチューブの首の付け根をぶちっとねじ切ってしまったので、残った糊を少し指に出してこねるのがまた癖になってしまった。

今もネットしながら漫然と糊の玉をこねていた。それで文章書き始めたら左手の親指と人差し指がふさがっているせいで、キーボードがすっごく打ちにくいのに、それでも何となく糊の玉が手放せなくて、残りの指で打っている。何なんだ!?
しかし最近ふと、これって指先でこねることによって、脳を刺激してしているのではないか…と気づいた。だって頭使う時に糊ボールをこねてると、すっごい集中できるんだもん。

PCで絵を描く時なんか、右手でマウス使ってるから左手でこねると丁度いい。ものすごくはかどるのだった。キーボードは非常に打ちにくい。どうにかならないだろうか…。それにしても余分な動きをすることでリラックスできるなんて面白いね。

そして最近、自分に関する驚きの発見をした!!まあ、単に気づかなかっただけなんだけど。それは、自分の左右の手の大きさが結構違うということだった。手の平を合わせてみると、右手より左手の方が9mmほど大きい。左右まったく同じとは思ってなかったんだけど、今まで自分の手の大きさががこんなに違うと思ってなかったので、気がついたらなんだかやたらと気持悪くなるほどだった。
何も考えずに、左右の手をそれぞれの指がかみ合うようにぱっと握った時に(西洋のお祈りのポーズみたいなやつ)、重なった親指が上に来る方が本当の利き手だっていう話あるでしょ?それでいうと、私はまさに左が上に来るので本当は右利きじゃなくて左だったのか、と思ってはいたんだけど、手の大きさは一体いつからこんなに差が出ていたのか…となんだか不思議な感動があった!

まあ、自分が左脳が著しく弱い人間だっていうのは子供の頃からわかっていたんだけど、その弱い脳の指令を受けて今まで酷使していた右手が何だか健気に思えてくるのだった。ひと回り小さいし!
とにかく指でお米やパンや糊ボールをうじうじとこねながら、脳をリラックスさせると考えがはかどるので、そういう人を見かけたら意味がないと思って止めないでよー。

《おまけ》この日記を読んでみん太は「そうか!女がいると男がクリエイティブになれるのは揉めるからか」と気づいていた。
FLAPPY
画像:FLAPPY
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posted by はなほの at 19:51 | らくがきと文章
2005.06.28

結婚しようと思ったけど破談になった(画像:結婚)

結婚とかするつもり全然なかったんだけど、昨日あたりからふいに結婚もいいんじゃないかと思い始めた。それで私が「そろそろ結婚して女盛りの人妻になろうかな〜」と言ったら、みん太は「まあ、結婚した方が(書類上など)都合がいいならしてもいいんじゃないか」と言うので、いつ頃しようかな…と思ったりし始めた。

そもそも私も、夫婦であることにした方が何か有利な条件があるとかいうことがないなら、特に籍を入れたりする必要はないと思っていた。別に結婚とかって制度上のことでしかないと思っていたので、形にこだわってもしょうがないよねー、ということで二人は合意していた。

でも何か最近急激に生活が変わってきて、やっと人として自分たちの体をケアしたり、自炊して毎日違うものを食べたり、新しいことを取り入れたりできるようになってきたので、ちょっと自信がついてきたのだった。しかも愛し合ってるし。(前は私、何もできないし、無気力だし、暗いし、仲良くできなかったんだもん。みん太は鬱だし。)

それで、唐突ですが、自分の人生を綺麗に巻いたシルクの布に例えるなら…、昔の私はピタッとたたみ込まれた自分の将来を広げてみる気にならなかったのだった。どうなるか分からないから先を描きたくない、訳分からんけれども取り敢えず可能性は残したい、白紙の明日を迎えたい…!!だから、契約は要らん!足枷は要らん!自由に、身軽に、無駄なものは脱ぎ捨てて……!!

しかし、人生に責任を持ってひとつひとつ受け入れていこう、いつの時代もそれが人間の生き方だったのではないか?とようやく少しずつ思えるようになってくると、自分が歩いていく(さっきの例えに戻るけど)シルクの道に、自分でぷすっぷすっとピンを刺して固定していくように、自分の人生を描いていきたくなってきたのです。
機を逃すと中だるみになるんじゃないか…なんて思ったりもして。もうおばだし!!

…そんな考えを私がぺらぺらと喋っていたら、みん太がだんだん鬱になってきていた。「結婚かあ…。お前今までさんざん将来を考えないで俺を裏切ってきたのに、時期が来たら自分のタイミングで勝手に決めるんだもんなー。冗談じゃないよ…」となって、結局すごい責められて、何と結婚の話はなしになったのだった!!
しかしみん太は私を一生連れ添うパートナーだということはもうずっと前から決めてくれているし、私も自分が成長して将来を描いたり、面倒な責任を負ってもいいと思うまでになったというのはとにかくいいことだった。前はまったく人を愛せない私だったのに、みん太、一緒にいてくれてありがとう!!
結婚
画像:結婚
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posted by はなほの at 23:00 | らくがきと文章
2005.06.20

おはぎ論(画像:梅雨)

今、みん太が作ってくれた3種類のおはぎがある。粒あん、きな粉、黒胡麻。初めて作った時は粒あんときな粉の2種類だったんだけど、今回は私の大好きな黒胡麻が!!
確か青海苔のおはぎも存在したような…と思って調べてみたところ、あんこ、きな粉の他に、関西では青海苔があるのに対して、関東では黒胡麻ということらしい。私はずっと関東なので、黒胡麻の方しか食べる機会がなかったんだけど、青海苔もやるべきなのかも知れん。
もし青海苔おはぎ文化圏の人で黒胡麻を食べたことがない人がいるのなら、絶対食べるべし!ぷちぷちが残るくらいで、でももち米の水分を吸ってしっとりと濡れるためにある程度細かくすり潰した胡麻に、砂糖とほんの少しの塩を混ぜたら、うま過ぎるから、絶対!!

それにしても、おはぎはうまい。和菓子の中で最強なのでは…と思う。最中もすっごい好きだけど。あと団子もかなりうまい。それにくず餅も。しかし、おはぎは特別である。なぜおはぎは特別なのか、というのを考えてみた。

まず長持ちしないっていうのがあると思う。クッキーよりケーキの方がありがたみがあるみたいな感じで。頂いたり買ったりしたら、数日のうちに食べなきゃならないものでしょう。それにやっぱり普通の市販のお菓子(ポテチとかチョコとか)と違って、そんなに頻繁に食べるものじゃないっていうのがね。(それは人によると思うけど。)

とは言うものの、私は子供の頃はそれほど和菓子が好きではなかったんだよね。お土産とか贈り物でもらう和菓子とかって、あんまり子供向けじゃないというか、そんなに嬉しくなくて、クッキーとかチョコレートの詰め合わせみたいなやつ(綺麗な缶とかに入ってる)の方が「やったー!!」って感じだったんだよね。デパートのそういうお菓子って滅多に食べられないんだもん。すごい薄いクッキーの巻いたのとか、クリームの挟まってるのとか、チョコレートの全部違うやつなんかどれから食べようって思って小さく折ってある説明の紙とか読んだりして…。

ところが大人になるにつれて、和菓子の特別さにすごい夢を感じるようになってしまった。和菓子と一緒に頂く緑茶の美味しいこと!あんこって甘すぎて子供の時は抵抗あったんだけど、今食べるとその甘さが妙に嬉しいんだよねー。
おはぎって、中のもち米にちょっと塩味があるから、あんことのバランスが完璧にいい。甘いだけじゃないから、お腹が空いてる時でもぱくぱくと食べてしまう。ご飯とおやつの中間って感じ。
甘味と塩味がこんなにうまく融合してるお菓子って他の国にもあるんだろうか?しかも食感の豊かさと言ったら…。均一になってなくて、米のつぶつぶ感が残ってるからいいんだよな〜。

あとおはぎが特別な理由っていうと、形かな。楕円形の。食べる向きが決まってるのとかって、実は大事なことなのかも。楕円の尖ってる方から食べるから、ひと口目が美味しいんじゃないかな。苺を先端から食べる時みたいな感じで。ショートケーキとかピザとかって、ただ均等に分けるために放射状に切ってるのかもしれないけど、先端のひと口目をぱくっと食べる時が一番幸せじゃない?

それから、寿司もそうだけど、ある程度手間が掛かってるっていうことも大事なことなのかもしれない。もちろんやり始めちゃえばそんなに大した手間じゃないんだけど、ひとつひとつ形を作るっていうのがね。大きいケーキを切って食べるのとちょっと違って、初めから誰かの手でひとつの完結したものとして出来上がる訳であって、そのひとつに込められたものを自分が食べていいっていう贅沢なんだよね。おにぎりとかもきっと、だから嬉しいんだよね。

しかも、やっぱり嬉しいのがバリエーションがあるってことなんだよね。だからみん太の作ってくれた3種類のおはぎはとても嬉しい!みん太はこういう時に手を抜かないからな。私なんかつい、作業工程をシンプルにしたいって思っちゃって、その大事なところができてない…。前も書いたけど、ひとつ気に入ると同じお菓子とか料理ばっかり、執拗に作っちゃうからな。
見た目に同じものが並んでるよりも、ちょっとずつ色んなのがあった方が夢を感じるのは間違いないしね。自分の幸せのために少し多めに手間をかけて、本当の価値を演出するっていうのが大人だよね。みん太はそこのところが分かっているので非常に偉かった!
梅雨
画像:梅雨
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posted by はなほの at 21:44 | らくがきと文章