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新都社で漫画を描いています
・「ひとりぼっちのケリル」(2012/12/14更新・連載中)
・「nikako―ニカコ―」(2014/02/18更新・連載中)
・「ふわ〜り」(2010年夏ホラー漫画企画作品)
◆絵本(新都社文芸)
・「チャリティー・マラソン」(2012/08/31 読切)

2005.12.05

web絵本2作目予告編(画像:コーヒー)

ここ何日か次に載せるweb絵本を制作している。文は何日も前に一気に書いたからすぐに載せたいんだけど、絵の方がなかなか終わらないのだった。初めは一日で仕上がるだろうと高をくくってたんだけど、取り掛かってみたら一日3枚が限度。意外に時間がかかったので自分でもびっくりした。今回は絵が全部で20枚あるので、このペースだと毎日やっても1週間かかっちゃう。今まだ6枚しか完成してない。本当は頑張ればもっとできるのにやってないんじゃないかと思って焦るなあ。
しかし日記に先に予告編を載せてせっせと励もうと思います。タイトルは「アマゾンの旅」。絵は今回はアクリル絵の具で描いています。乞うご期待!!

先週NHKの『その時歴史が動いた』で山本五十六見たり、何日か前の深夜に『宇宙戦艦ヤマト』見たりして、自分は毎日実に簡単なことしかやってないのに文句ばっかり言ってて、本当に怠けでものすごく甘いと思った。(しかし両方ともすごい楽しみにしてたのに気づいたら前半見逃しててほとんど最後の方しか見られなかった…。)ひとりの人間が自分の存在よりずっと大きい規模の正義のために決断するなんていうことは、考えるだけでもひやひやして苦しい。ヤマトの最後なんか、自分だったらできるのかっていうのを考えずにはいさせないのだもの。
女だからとか子供だからとか、こういう時代に生まれたからとか、まったく言い訳にならないような状況っていうのがあるんだよね。今までの状況とか周りの意見とかが何の頼りにもならなくて、ひとりの人間としてどうするのかっていうことを、最後の最後まで手を離さずに考え続けなきゃならないような状況。究極の選択というやつ。
考えてみれば(いや、当たり前のことなんだろうけど)、人間として生まれてしまった以上、いつその覚悟をしなきゃいけないような場面に出くわすかわからないんだよね。ただ命を捨てる、もう諦めます、なんてことは楽な方のことだったりするのかもしれないんだよね。く、苦しいよ…。
でも反面、自分の決断を納得するために過ごす一分一秒の時間ほど密度の高い「生」というものが、人生で他にあるかってこともやっぱり言えると思うんだよね。それが失っていく中での救いであるはず。ちなみに「詩116」はヤマト見た後いろいろ思って、みん太と喋って「あ、頭が狂う!!」とか言いながら書きました。

それから話は変わるけど、記事タイトルの画像をいろいろいじっていたけど、とりあえず落ち着きました。見てくれてた人、ころころ変わってごめんなさい!
コーヒー
画像:コーヒー


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posted by はなほの at 18:56 | らくがきと文章
2005.11.25

タイトルとメニューを手書きフォントに変えた(画像:こたつのある暮らし)

上のタイトルと左右のメニューの画像を手書きの文字に変えてみました。前から自分の手書きフォントを作ってみようと思っていたんだけど、ついに実現できて嬉しい!何しろいつも思いつきを実行するのが困難だからであった…。昔の記事のタイトルに「アニメを作ろうと思う」とかいうのがあったりするけど、実はいまだにアニメには一切手をつけていないのだった。そういうのが怖いのであんまり過去の記事を読む気にならないのかもしれん。

それでフォントの話だけど、これは普通に書いたものをそのまま載せてるのではなく、スキャナで読み込んだものをイラストソフトでなぞっているので、大変に手間が掛かったのであった。とは言っても、私はこういう作業は頭を使わないでいいので全然苦にならないんだけどね。単に時間が掛かっただけ。
そうやって今は取り込んだ線をひとつひとつイラストソフトの画面上でちくちくとなぞっている訳なんだけど、ペンタブレットという便利なものがあって(一度も使ったことないからよくわからないんだけど)、手もとで書いた線がそのまま画面上でデータになるらしいんだよね。ほしい〜!!前々からみん太に「買いなさい!!」と言われてるんだけど、自分にとって新しいものにはなかなか手が出なくてねー。でもこれはやっぱり買わなきゃならないな。

ペンタブレットを買ってからかもしれないけど、手書きフォントを作ってみようと思う。(はっ!また普通に「…してみようと思う」と言っちゃったけどできるのだろうか…。)ひらがな、カタカナ、アルファベットの大文字、小文字、数字、あと記号など。そうしたら配布する予定。
結局時間はかかるけど地道になぞってく方法でできちゃうからこれからやろうかな…。手書きの適当に書いた字を絵みたいにきちんとなぞるのって結構楽しいんだよね。手間を減らして生産量を増やそうって気がないのがすごい大陸的なんだよな…と言ってよくみん太に呆れられているのだった。

それとお知らせなんだけど、サイトマップ全体を今までひとつの記事として載せてたのを、カテゴリごとに別の記事にしました。携帯で見る場合、全部が表示されるとかなり長くて大問題だということがわかったのでこのように分けたんだけど、PCで見ても前より整理されて見やすくなったと思います。携帯で見て何か不便だとかもっとこうした方がいいとか(またはお褒めの言葉も!)、あったらぜひ教えてください!できるだけわかりやすく改善していくつもりなので、いつも遊びに来てね!!
こたつのある暮らし
画像:こたつのある暮らし


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posted by はなほの at 15:11 | らくがきと文章
2005.10.30

心に残る日常のひとコマ(画像:平井堅は)

「インセスト・タブー-近親相姦禁忌-についてその2」を書こう書こうと思いつつ、その後9月10月といろいろなことがあって(それはこれから順次書いていく予定)、なかなか書けずにいたら、これからの課題として書いていこうとしていたようなことも、ある意味乗り越えてしまったのだった。要は二人の関係についてなんだけど。本当はリアルタイムで思ったことを書いていくのがこの日記の目的のはずなんだけど、何だかついついタイミングを逸してしまう。
どうでもいいようなことがすごく楽しいんだよね。何か「これが真理だ!」みたいなことって気分が変わるとすぐリアリティなくなっちゃって、あんまり日常の救いにならん。

ひと月以上前のことなんだけど、私がある日の昼間に変な夢を見て目が覚めた。その夢の中でまったく意味不明なんだけど、みん太がふざけて「えふえふえふ…」って言ってて、私は何だかそれがすっごい面白くて「あははっ」と笑いながら目が覚めたら、そこにみん太がいて起きて本を読んでいた。で、私はまだ夢の続きみたいな感じで笑ってて、みん太がすごく透明な感じでそこに佇んでいて、穏やかに「ん?」とか言ってるのが、理由はないんだけどおかしくて、すっごい笑っていた。そうしてたらみん太がいきなり「何でもないようなことが〜しあわせだったとおも〜う〜」とか歌い始めて、それがすっごい普通に淡々と歌ってるからめちゃくちゃ面白くて爆笑してたんだけど、次の瞬間死ぬほど切なくなって大泣きしてしまった。このニュアンス伝わるだろうか…。

これからちょっとずつ過去を振り返りながら日記を書かずに空白になってしまった時間を整理していこうと思う。今日の画像は昨日みん太と喋っている時に、心に突き刺さるように感じたみん太のひと言をひとコマ漫画にしてみた。
平井堅は
画像:平井堅は
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posted by はなほの at 21:29 | らくがきと文章
2005.09.14

インセスト・タブー-近親相姦禁忌-についてその1(画像:セックス)

ここ何日かうちにあった『文化人類学を学ぶ人のために』という本を読んでたんだけど、それに「インセスト・タブー」のことがちょっと書いてあって、それを読んで私は「ひええええっ」となりのけぞってしまった。インセスト・タブーとは近親相姦のタブーということで、その部分をそのまま引用すると…
「…は嵐山ニホンザル群の性関係を緻密に分析し、恒常的な近接関係をもつ特定のオスとメスの間では性行動そのものがおこりにくくなるという事実を立証したのである。」
と書いてあるんだけど。

サルっていうのがショックなんだもん。ということは「セックスレス夫婦」っていう言葉があるのは、何か殺伐としていることが原因なのかと思ってたけど、実はそれが自然っていうことになるじゃん。つまり血縁があるかどうかってことは置いておくとして、私とみん太のようにもとは他人同士で、お互いに欠落を抱えたいわゆるボーダーラインカップルから始まって(今も!)、すっかり肉親のようになった男女というのはもはやセックスをするのは不自然なのだった、と言えるんじゃ…。

すっかりショックを受けた私は、後でみん太にこの話をしたのだった。そうしたら「だから前から言ってるじゃん、近親相姦だって。」と一蹴されたのだった。…それから自分の中での精神の旅が始まったのだった。それを自然なことだと思える人もいるんだろうけど。(多分O型の人や男の人は多いんじゃないかな?)今のはなほのにとっては乗り越えなければならない巨大な壁なのであった。克服できるのだろうか!?その2に続く。

おまけ話。
何と昨日また畳の上でエンマコオロギを発見した。これは(ひとつ前の日記に書いた)あいつかなあ?鳴き声がやんで久しいので、あいつはもうこのうちのどこかですっかり干乾びていると思っていたが…。別のコオロギがまた入ってきたなら(そしてオスなら)、また素晴らしい室内の音を楽しめるじゃん!でも、やっぱり前のコオロギがうちの中で繁殖できないままに死んだと思って後悔していたので、こいつは外に出すことにしました。
取り敢えずザルを被せてどこかに行かないようにした。前のコオロギはどうして外に出せなかったかというと、うちのどこで鳴いてるのか分からないからだった。羽で音を奏でる様子も是非見たかったんだけど、どこか物陰で鳴いてるらしく全然見られなかった。(部屋が片付いてないから虫一匹が見つかる訳はないのだった。)
外に出す前に2時間くらい(爆笑問題のラジオ聴いてる間だけ)部屋を暗くして、もう一度鳴き声が聴けることを期待してたんだけど、鳴き出さなかったので外に出しに行った。それにしても再び現れてくれてよかったな。何だかこっちの気も済むというもの(勝手だねまったく)。

あともうひとつは悲しかったこと。今日、お菓子の缶の中にちょっとだけ残していたバウムクーヘンがカビていた!大ショック!!「大事にひとかけだけ取っておいてカビるなんて、なんて吝嗇!!」とみん太に非難された…。う、う、ぽろぽろ…。
セックス
画像:セックス
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posted by はなほの at 23:45 | らくがきと文章
2005.09.11

エンマコオロギと月光ソナタ(画像:夏の一日)

毎日いろんなこと書こう書こうと思うんだけど、暫く日記から離れちゃうとどうも書く勇気がなくなってしまう…。実に感動的なことや、面倒なことや、急に分かったような気がしたことや、憂鬱なことなど、とにかく人間は日々生きているだけでいくらでも言いたいことはあるんだけど、何かね〜、どうしても書く気にならない時期というのがあるのだね。
まあ最近はほんのちょっと本を読んだりもするので、アウトプットよりもインプットの時なのかもしれないんだけど。本と言っても、平気で30年くらいとかそれ以上昔の本だったりするし、テレビを見ていても疲れるだけで、新しい情報に晒されるのがすっかり嫌になってしまって…。何だかもうこうしていても切なくなる一方というかねえ。でも食生活はみん太のお陰でものすごく充実している。最近特にすごいのが麺もスープもすべて手作りの本格ラーメン!昔はしょっちゅうラーメン屋に入っていたけど、手作りの方が全然美味しいや。(手間はかかるけど。)

最近面白かったことといえば1週間くらい前にうちの中に迷い込んだエンマコオロギが、暗くなると「りりりりりり…」と鳴き始める音が何とも感動的だったの!本当に今の季節は外で鳴いてる音もよく聴こえるんだけど、たった一匹同じ部屋の中で鳴くだけで信じられないほどでかい音で響くんだね。知らなかった。
別にこういうのって珍しいことじゃないんだろうけど、私はうちからほとんど出ない子だったから虫と触れ合うことが全然なかったし、うちの中に虫がいるってことが昔はすごい非常事態だったので、今却って新鮮で楽しいのだった。(子供の頃部屋にとんぼが迷い込んだんだけど、それがものすごいでっかく見えて異常に怖かった。)
初めはエンマコオロギっていう名前も知らなかったから、ネットで調べて鳴き声を聴いてみて分かった。しかもこの音は「コロコロリーリリー」と表記してあったので何かすごいなと思った。確かにそういう独特のリズムがあるんだけど、あの音を「コロコロ」と表現するとはね。

そのエンマコオロギがうちに迷い込んでからというもの、夕方から明け方まで毎日鳴き続けるのでまったく楽しかった。初めの2日くらいはあんまり鳴かなかったんだけど、ラジオの音とかに反応して鳴くことに気づいたので、いろいろ聴かせてみようとか言って、ベートーベンの月光ソナタをかけたらものすごい鳴き始めてすごかった!それから蛍光灯を消して暗くした方が盛んに鳴くことが分かったので、真っ暗な中で月光ソナタとコオロギの激しい掛け合いを二人でしみじみと鑑賞してしまった。す、すごい、なんて風流!!あれ、本当に不思議だな。ちゃんと強弱やリズムに反応してるみたいだったもん。

うーん、この贅沢な時間をくれたエンマコオロギに感謝せずに何に感謝しろというのだろうか…。しかし夕方鳴き始めるのを楽しみにしていながらも、こいつはこのままうちの中から出られなかったら、こんなに真面目に鳴いているのに繁殖できないから出してやらなきゃ…と言ってるうちに6日目くらいから音が聴こえなくなってしまった。う、ごめんよ…。実は何回か見かけたんだけど、今夜も聴かせてほしいな〜と思って外に出さなかったのだった。

一回エンマコオロギに親しみを持ってしまったので、外で鳴く虫の音もエンマコオロギだけが特別に聴こえるようになってしまった。本当にいい音色なんだもの。顔もかわいい!こういう風にして虫とか動植物にだんだん詳しくなれればいいんだけどな。
そろそろ旅行に出られそうな気がするんだ。何で普通に旅行くらいできないの?って思われるだろうけど、すっごい臆病で怠け者なので、なかなか踏み出せないのだった。でもようやくパスポートの申請できたし、後は受け取りに行くだけ!いや〜、本当に子供でもできるこういう役所の手続きが気が重くて重くて…。何なんだ私は。
夏の一日
画像:夏の一日
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posted by はなほの at 22:00 | らくがきと文章
2005.08.09

雷で日本人を理解した(画像:サイアクだなこりゃ……。)

昨日夕方になる前くらいに、短い間だったけどすっごい雷鳴ってて怖かったなー。その時ちょうど二人で寝てて、外で風がごーごー鳴ってて真っ暗だったから夜かと思って「あっ洗濯物が!!」となって飛び起きた。洗濯物を慌てて取り込んだらすぐに大雨が降り始めたので「間に合ってよかった〜」と言ってベッドに戻ったら、雷がかなり激しく鳴り始めて、停電で扇風機も止まったりしたので、どきどきしながら「神さま…!!」と心の中で祈りつつ、ちょっと冷静に「こういう時自分は神さまに祈るのだな」と思った。

学校とか、自分にとって居心地の悪い場所にいる時は、こういう災害が起こりそうな感じってすごい嬉しいんだけどな。自分の家で安心してみん太と二人で裸で寝てる時には、うちに雷落ちて火事になったらどうしよう…と無性に怖い。何も起きないことを心から願う。
地震の時もすっごい嫌だな。学校で地震があっても自分が死ぬような気がしないのに、家にいたら死にそうな気がする。家の中で服着てないから、外に逃げる時もこのまま出る訳にもいかないし…とか思ってる間に潰されたりして。

よく夢の中で大地震、津波、火山の噴火など、自然災害に遭うんだけど、そういう時私は人を掻き分けて逃げる。きっと現実にもそうするのだろうと思う。自分ひとりが助かるためなら躊躇がない気がする。(そういう奴なんだ私は…。)でも自分のとても大事な相手がいたり、我が身をかえりみず私を助けてくれようとする相手が一緒だったら、そういう行動は取れないんだろうな。だからみん太と一緒にいる時には、ひとりでいる時とは違った意味で不安が大きいし、恐ろしいことが起きないことを願う。

雷が鳴ってる間、じっとしながら色んなことを考えた。もし近所に雷が落ちて火が出たら逃げなきゃ…などと考えてるんだけど、そういう事態が起きないことをひたすら祈るだけ。窓が光って、すぐに轟音が鳴り響くとやたらに怖い。早く去ってくれと願う。ここから雷が去るってことは隣の地域に移動するってことな訳だけど、しょうがないんだよね。光ってから音がするまでが長くなってくれると「よし、行った!」ってすごい嬉しいんだもん。危ないものは早く遠ざかってくれって。で、この感覚がまさに日本人の根幹にあるものなんだな、ということをしみじみ理解したような気がした。

天災っていうのは無差別であるから、相当運が悪ければ犠牲になるけれど、安全を考えて備えておけばそうそう悪い目には遭わない。それだけの話で、そこには個人の正義なんて必要ない。
イラクで日本人が人質になった時に、そういう狭い日常の感覚で「自分から災いに巻き込まれに行った」「何であんな無謀なことするのか」と白い目で見る。同じ日本人が外国で怖い目に遭っている、何とか国をあげて救出しよう、と一致団結することはなかった。
日本人の意識としては、雷が鳴っているのにわざわざ落ちるような広いところや高いところに出て行くようなものだっていうような感覚なのかもしれない。人質になってしまった人が、どんな正義によって行動しているかなんて考える余地もない。
自分が絶対に安全な立場から、他人に対して平気で「自己責任で」なんて言ってしまう日本人の自覚のなさに、私は相当怒りを感じるけれど、とにかくそれだけ日本が平和であるっていうことは言える。それでその危機意識のなさから、危険を冒して正義をまっとうする人を平気で追い詰めてしまう国なんだ、日本は。

イラクの人質事件の時に、その当時結構気に入ってる旅のサイトとかあって見てたんだけど、世界中行ってるような人たちが「自分の身の安全は自分で守りましょう」とか「同じ旅人として今回の件は軽率だったとしか思えない」とか言ってるの見てものすごくがっかりした。「旅人として」だって。勘違いすんなって。自分とは違う意志を持って行動してる人間を、ごく狭い世間の感覚で自分がどうこう言えると思ってるのが本当にあさましい。何が世界旅行だよ、あほ!と思った。

『火垂るの墓』見てて思ったけど、もしかしたら日本人は空襲を受けても隣近所が同じ目に遭ってるのだから天災くらいの感覚だったのかもしれない。外国と戦争してるというのに。あの映画で、空襲の後の人々の会話で「自分のうちだけ燃え残ったんじゃご近所に申し訳ない。却って全部燃えてさっぱりした」みたいなセリフが入るんだけど、あんな戦争の非常時でさえ、世間というものが一番大きな秩序な訳だ。台風の後だったらそれでもいいだろう。でも、天災は無差別だが、人間の悪意はそれよりずっと恐ろしいものだ。

逆に自分が圧倒的大多数に差別されたり敵視されたりしていれば、どれだけ天変地異を味方に感じるだろうと思う。『火垂るの墓』で、世間の人に助けてもらえないばかりか、存在を疎まれて、ついに地域に住めなくなって野宿しながら盗みをしなくてはならなくなったお兄ちゃんが、空襲が来た時に人々が逃げる方向と逆行して、がらがらになった家から食べ物や衣服を盗みまくる。あそこで「どんどんやってくれ、自分をひどい目に遭わせたやつらを叩き潰してくれ」とばかりに、敵の空襲に大喜びする。その辺はかなりリアルな表現だったと思う。

ちょっと話が逸れるけど『火垂るの墓』についての感想。
原作は読んだことないから知らないんだけど、あの映画を見る限りでは、布団をころころと転がって妹を抱きしめるシーンは一番泣けますね。男の子が自分の存在の小ささというものを感じてしまって強烈に切なくなって、自分が誰か(母親のような存在)に抱かれたくなった時に、自分だけを頼りに生きている小さな妹を抱く。自分の存在を確かめるように、触れに行く。寝ていた妹は急に力強く抱き締められたので、驚いて「苦しい」と言って、そっけなく離れる。行き場を失った不安をひとりで噛みしめる。自分はどこまでも孤独を受け入れなくてはならない。
映画の冒頭からもうお兄ちゃんは死んでる訳だけど、あれは最後まで観ると、戦争で被災して餓死した訳じゃなさそうということがわかる。(解釈間違ってるかもしれません。)おそらく妹を守るために頑張ってきたけど、最後は目的を失って力尽きてしまうんだね。女が(子供を産む存在だから)自分が守られて当然、生き延びて当然と感じているのと同じように、男は守るべきものを守って当然、それが果たせなかったら倒れてしまうほど、自分以外のものの為に生きるというプログラムがあるんだろうと思った。
『火垂るの墓』の話は余談だったんだけど、最近あれを見てから随分いろんなことを考えてしまったので書いた。
サイアクだなこりゃ……。
画像:サイアクだなこりゃ……。
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posted by はなほの at 11:45 | らくがきと文章
2005.08.01

本が読めるようになって楽しい!(画像:アレ?ここは…)

最近読書がはかどっている。私は子供の頃からまったく本が読めなかったので、人生で初めて読書に集中できているかもしれない。二人でベッドの上でずーっといろんな本を手に取りながらぐるぐると読んでいる。(みん太はもともと読書好きな方なので、私も静かに読んでいると安心して読書に集中できると喜んでいる。話しかけないからだった。)
前は、文字を追っていてもせいぜい2行くらいで虚ろになり、関係ないことを思い始めてしまい、ほとんど文章全体を理解することが不可能だったので、すっごいコンプレックスでもあったんだけど。これでよく大学受験を通ったなと思う。制限時間で現代文や英文を読むなんて、気が散りまくって無理!

小学生の時も、読書感想文お姉ちゃんに書いてもらってたし。本当に薄っぺらい子供用の絵本とかも全然読めなかったので、誰でも知ってる絵本とか今でもまったく分からない。話についていけない。あと子供の時はテレビもまったく見なかった。母親が子供の番組をつけても私はまったく反応しなかったらしい。とにかく床に置いた紙にお絵かきとかして自分の世界にこもっていたらしい。そんな感じで、中学生や高校生になっても周りの人の喋っていることが全然わからず、もう死んだ方がいいのかなと思っていたけど、私はやっぱりちょっとある種の自閉症だったのかもしれない。

そういう訳で私は、本を読んだり、情報に触れたり、新しいことを学んだりすることに無関心なことを相当気にしてたんだけど、この歳になって急に読書がはかどるようになったのがとっても嬉しいのです!
今もし私みたいに「本当はいろいろ知りたいのに、文字を読んでも気が散って頭に入らない…、う、う…」と嘆き、「怠けてばかりで人生をつかみ損なっているのでは……もやもや」と不安になっている人がいたら、大丈夫です、必ず集中できる時期が訪れるので、自分にとって楽しいことから先にやって下さい!(人に怠けてると思われるだろうが…。)あと自分は要領よくできない少数派の人間であることを認めちゃった方がいいね。その代わり好きなことをやり尽くした後に芽生える探究心は普通の人の何十倍もすごいはず!
それとまあ、人間はみんな勝手に生きてるだけだから、あんまり他の人の言うことやすることを気にしないことだよね。自分にとって一番面白いことなんて、自分で見つけるしかないんだもん。
(自分が若かった時にそう言われても、聞く耳持ったかどうか分からんけど…。こういうこと言う大人は結構いて「うるせえ、てめえに何がわかる」と思っていたかもしれん。でも、本当なんだよ〜。)

最近しみじみと実感するのは、自分の欠落や不全感を埋めたいと思っている人ほど、できる仕事の量が大きいんじゃないか、ということ。(自己否定がいいことという話ではなく。)苦手なことや恐怖を克服した時の充実感ってその人間だけの確かな感覚なんだよね。だからやっぱり渇望があるほど喜びの密度も高いっていうことは言えると思う。

最近ある夢を見て(夢の話ばっかりだが)、起きた時にものすごく幸せな気分が続いていたということがあった。その夢では学校の遠足か何かで夜の遊園地にいる。学校関係の夢っていう時点で大抵あんまりいい夢じゃないんだけど、その時は個人的ないい体験をすることになる。
フライングカーペットの軸から伸びてる腕がものすごい長いやつ(自分の乗ってるところの描く円がすっごいでかい。しかも早い)みたいな乗り物に乗る(夢だからね)。現実には私はこういう上下する乗り物が死ぬほど怖い。友達と一緒にとりあえず並ぶが、動き始めてから必ず後悔する、という感じ。
それでその乗り物があっと言う間に頂上までいくんだけど、そこで体はがちがちに緊張しちゃって、いつもだったらなるべく自分であることを諦めて(つまり意識を頭からなるべく追い出して恐怖を感じないようにして)ただこの時間が過ぎるのを待つだけなんだけど、ふと「目を開けてみよう」と思う。「ちゃんとこの時間を積極的に味わおう」って。

で、こわごわ目を開けてみると、視界が真下からずっと遠くまで広がってて、その景色が夜の闇の中に無数の灯りで浮かび上がっていてものすごく感動的なの。遊園地の灯りって幻想的で特別な感じなんだけど、その空間もこの視点からは自分の見える範囲で終わっていて、外には森やら住宅やビルや普通の白い街灯なんかも点々と見えてて、何か世界の裏を見ちゃってるっていうか、夢の壊れる感じと同時に神の視点で現実を眺め渡してるような妙な感覚に到達しちゃうんだよね。

ああ、自分は今、ものすごい巨大な力を借りて、世界を上から見て、揺さぶられている、空気を掻き分けて風を感じる…。両側に座った友達がきゃーきゃー言ってる声も遠くに聞こえて、私は静かに興奮して、この瞬間すべてを大事に感じようと思って陶酔している。
それもすごく余裕がある訳じゃなくて、かなり怖いんだけど、体に感じる違和感もすごいんだけど、何とか目を開けていられる、ぎりぎり楽しめる。これなら大丈夫、気持いいー!って感じ。

あんなに怖かったのに、いつも頭の中を真っ白にして不安と戦ってたのに、今私は恐怖ではなく喜びを感じている。もう、最高。今、怖いものなんかない。自分を手に入れた。苦しみが充実感と感動と達成感と希望と、次の課題を克服したいっていう勇気と自分への期待で満たされている。
そういう感じで目が覚めた。もともとこういう乗り物が好きな人は「?」って感じだろうけど、苦手を克服する感覚ってやっぱり自分だけのものなんだよね。

この稿は、じつは夢のことを語るつもりではなかった。それぞれの民族が持つ子供性のことを書くべく、その橋がかりとして最近の読書ブームおよびはなほのがどれだけ読書嫌いだったかということをのべたのだが、ここで紙数が尽きた。
(司馬の『この国のかたち』を形だけ真似した。こんなに脈絡なく言う訳ないんだけど…。あと「それぞれの民族が持つ子供性」っていうのは私が勝手に書こうとしてただけなんだけど。『この国』は、私なんぞが言うのもおこがましいけど、ひとつひとつがめちゃくちゃ豪華で面白くて、すごい洞察や裏付けがないと書けないことなのに、ときどき導入と終わりがさらっとしてるのがあって、ブログみたいな感じなのがかっこいい!)
アレ?ここは…
画像:アレ?ここは…
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posted by はなほの at 22:30 | らくがきと文章
2005.07.24

アニメを作ろうと思う(画像:会田雄次)

これからは更新のペースを少し下げようと思っています。あ、切ない…。そのことは昨日の朝決めたばっかりなんだけど。
理由はいくつかあるんだけど、まずひとつには、去年の12月にブログを始めてから、いつも今日の更新はどうしようということばかり考えていて、ストックがない時はそれ以外のことにあんまり時間を割けなくなっていたということ。昔作ったものを少しずつ出していってたから、全部一から作っていた訳じゃないんだけど、今の自分が一応納得できる形にすることが必要だったので、やっぱり毎日欠かさず更新するのはそれなりに気合がいるのだった。

そろそろ新しいことをやりたかったので、ずっと前から気になっていたアニメを作ろうかなと思ったところ。前に1回手をつけたことあったんだけど、あの頃は解説がなかなか頭に入らなくて、結局すぐに放り出してしまった。新しいソフト使えるようになるまでってすっごいストレス感じちゃってたんだけど、今なら前よりも楽しめそうな手応えがあるので、また挑戦しようと思って。初めのうち訳わかんないから難しく感じるのは当たり前だし、それよりも便利なソフトを開発してくれてる人や、丁寧に解説してくれてる人の仕事に敬意を払って、謙虚な気持で学ぼうと思う。(少し成長した!)

それからずっと前に、「そろそろ海外旅行をする予定」ということを日記で書いたんだけど、実はまだパスポートも取っていないのです…。ダメ人間!!友達にもメールで「そのうち出る予定」とか言ったので、私たちがもう旅行に出たんだと思って「今どこにいるの?」とかいうメールをくれたりするんだけど、「家…」とは言えずどうしたものかと思ってるんだよね。(まあ言うけど。)
それにしても本当にあの時は二人で「すぐ出よう!」と言ってすごいのってたんだけど、その後さまざまな違うブームが来て、どんどん気分が変わって、そのうちに月日は経っていた…。
パスポート用の写真とか住民票とかの準備が死ぬほど面倒だとか思って、何となく気が乗らずに過ごしているうちに写真も自署もデータの添付でよくなったし、住民票もコードだけで書類の必要なくなっていた。(時代も変わっていた!)
手続きというものは本当に気が重い。喜んでやる人(よくいるけど)の気が知れん。でもそんなこと言ってたら人生がなかなか前に進まないので、頑張って今こそやるしかない!

あと更新のペースを落とそうと思っているもうひとつの理由としては、PCにかじり付いている時間がどうしても長くなってしまうために、しばしば(often)視神経が痛くなるということ。
メリハリをつけて生活してればいいんだけど、今日は何を載せようか…とか考えながら、逃避してだらだらと関係ないページを見たりしつつも、更新しそびれることが不安でPCの前から離れられないんだよね。私なんかよりもずっと長時間PCにはり付いて仕事したり遊んだりしてる人はいっぱいいるだろうけど、私はど近眼なのでついついモニタにものすごい顔をくっ付けて作業しちゃうんだよね。
今この文章はノートパソコンで書いてるんだけど、液晶だから目には全然きつくないし、テキスト打つだけなら全然顔離してできるからいい。しかしこっちのPCは画像扱うには向かなかった。14インチなので狭すぎるし、液晶が結構粗いからだった。
メインの方は21インチのCRTなので画像処理には最適!本当に便利。しかし、最近すぐ目が充血するのであんまり近寄れなくなっている。
視神経痛は結構深刻に辛いんだよね。眼球がずきずきしてきて、頭も痛くなるし、ひどい時にはモニタの電源入れるだけで気分が悪くなってくる。何か鏡で見ると最近眼球がせり出てきてる気がするし。眼球突出という言葉があるらしい。怖い。せっかく近眼治そうと思って目の運動してるのに!もっと遠くを見て暮らしたいよー。

そういう訳で、これから更新が空く日もあるかと思いますが、よろしくお願いします。今まで毎日楽しみにして見に来てくれてた方、どうもありがとう!!
これで少し気が楽になったら、また毎日更新することになるかもしれないし、どんどん新しい内容にしていけたらいいなと思っています。とは言え、一日ひとつ更新することで、今までリズムができていたので、その基準を変えることは結構勇気のいることだった。しかし、変化は自分で起こしていくしかないからね。
同じこと続けててももう頭打ちだからな。今までよりも面白くするためには、どんどん破壊していかなきゃならないし。どんなことをやるにせよ、Webで公開していくつもりなので、よろしくね!(こんなこと言っててまた気分が変わったらはずいんだけど…)
会田雄次
画像:会田雄次
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posted by はなほの at 18:30 | らくがきと文章
2005.07.14

最近よく見る夢-その3、その4-(画像:落書き)

昨日に続いてよく見る夢の内容。思い出そうと思っても漠然としてて全然実態がつかめない記憶ほど、夢の中ではリアルに再現されるんだよね。家族の夢か、学校の夢ばっかりだもん。

その3《全然好きじゃない男の子とキスする夢》

学校とかで、私はいつもみんなとすぐ友達になったりできないから、入学式とかクラス替えとか、本当にいつも地獄。どう振舞ってればいいのか分からなくて、頭が狂いそうになる。(て言うか、死にたい…。)ある程度大人になると、集団が自分の扱いを決める瞬間を利用しなくてはと思い、どう演じるかという方針を決めることになる。
集団に「余裕のある自分」の演技が通用しないようだったら、初めから気が小さくて駄目な自分を出して、そういう一段低いものとして可愛がってもらう。決して尊重されることはないけど、特別傷つけられることもない。
集団がある程度、自分のことを上に見ていて、演技が通用するようであれば、安心してそのまま明るい人として振舞う。まあこういうのも、絶対ばれてるんだけどね。陰で何言われるか。聞いたら傷つくのわかってるからな。
そんなことをやってるから、顔を出す場所によって人格が変わる人になる訳。部活では調子いいのにクラスでは冴えない人、みたいなね。ここまでは夢の前提(つまり現実)。
で、夢の中では集団に馴染めない私に、「自分も仲間外れだから…」みたいな態度で距離を詰めてくる男の子が出てくる。そいつも結局集団を馬鹿にしてる癖に、自分ははみ出し者だから悲愴な顔できるっていう態度を取るのが、私はすっごく気に入らないんだけど、そういう理由でも私のことを見て近づいてきてくれるってことがやっぱり嬉しい訳。だって、他の人は自分ひとりで私に話し掛けたりはしないから。女の子なんて、何人かまとまって同盟ができあがった後で、品定めしに来るから。
それで、教室の中でその男の子と仲良くなって、みんながわーわー騒いでる教室の隅でキスするんだけど。自分は性的に求められる存在なんだぞって主張したい訳。結局ちゃんと人気のある女の子は人前でそんなことしたがる訳ないんだから、こっちの心の動きはばればれなんだけど。それでもセックスを露出して、みんなが白けたら面白いなって思ってる。

その4《仲間と違う行動をとって批難される夢》

この夢は本当に繰り返し繰り返し見る。そこで出てくる人たちは現実にいた友達。私はみんなの仲間に入れてもらえることがすっごく嬉しいんだけど、いつもいつも心の底では全員にムカついてる。私以外に3人いるんだけど、ひとりがいつも尊敬されてて、残りのふたりはいつも場に従うだけ。そのリーダー格のひとりの意見に私が反対したくても、残りのふたりがいつも意見を持たないせいで、私の意見は絶対に尊重されない。残りのふたりがそれぞれにばらばらの主張がある上で、リーダー格と同じ意見なら私も諦めがつくけど、あのふたりはいつもどっちでもいいだけなんだもん。まあ今思えばふたりともすっごく育ちがいい人だったんだなって思うけど。あの時の私は何かに不満を持つことがないっていう人が全然信頼できなかった。だって私がそれを言い出した時にまったく聞いてくれないんだもん。日本人らしいっていうか、役人ぽいっていうか…。ここまでは前提(現実)。
夢の中ではいろんな場面があるんだけど、とにかく4人で団体行動している。旅館に泊まりに行ったりとか、買い物に行ったりとか、学園祭っていうのもあったな。それでみんなで食事して帰ろうっていうことになったりするんだけど、私はもう時間も勿体ないし、外食にお金使うのも嫌だったので「帰りたいな〜」って思ってる。
で、店に入って私以外の3人がそれぞれ注文する。私、人付き合いもあんまり多くないし、お店とかよく知らない訳。そこで何が人気メニューか、みたいのとかよくあるでしょ。ここに入ったらこれ食べる、みたいの。何かそういう感じで、みんなが同じようなもの注文してるの。で、私の番になるんだけど、面倒だから適当に「じゃあ、これ」って言って注文するんだけど、店員が「申し訳ありませんが、こちらはもう終わってしまったんです」って言う。
これ幸い、私は「それじゃあ私、帰るわ」ってみんなに言う。みんな驚いてふざけるなと言わんばかりに「え、帰るの!?」とか「こっちのやつ頼めばいいじゃん!」とか言ってるんだけど、私は「うん、もう時間も勿体ないし」って言って帰ってきちゃう。
気分よかったなー。相手がひとりだったら絶対しないけど、3人いりゃ十分でしょ。普段私の意見無視なのに、団体行動乱す時だけ怒るなんてひどくない?まあ現実の私はあの時ひとりになる勇気はなかった訳だけど。
この夢の話するとみん太は「分離に関わる夢だな」と言って成長を認めてくれるのだった。昔は同じ夢見ても、こんな展開にはならずいつも惨めに目覚めていたからな。本当に強くなってきた証拠だと思う!
落書き
画像:落書き
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posted by はなほの at 20:15 | らくがきと文章
2005.07.13

最近よく見る夢-その1、その2-(画像:お肌がキレイだからテカるんだよ。)

目が覚めると「あれ?また同じ夢見たな…」ということが多いので、最近特によく見る夢をまとめてみることにした。ここのところずっと昔より精神状態がよくて、よほど体調が悪い時以外は高いところから落ちる夢とか、刃物で襲われる夢などは見なくなった。夢って精神状態そのものだから、悪い夢が続くと本当に参るよね。何よりもリアルに自分の内面を見せられるから、本当に笑っちゃうくらい「私ってカッコ悪いな〜」って思ったりするし。自分だけ友達がいなくてすごい惨めだったりとか、他人のひと言で逆上したりとか…。
でもまあ、すごい鬱な夢の中にも、周りに屈せずに自分の意志を貫く場面があったりとか、自分が譲ることで問題を解決して達成感を得たりだとか、自分の成長を示唆するような嬉しいこともあるのです。とは言え、これってやっぱりちょっとした戦いだから、寝る時に「また夢を見るのかー、面倒だな…」とか思ったりするほど。疲れてるのに映画一本見なきゃならないみたいな気の重さがあるんだよね。

その1《みんなに見捨てられてる、死にかけてる赤ちゃんを蘇生させる夢》

これは不思議な夢なんだけど、ここ半年くらいかな、結構頻繁に見ているんだよね。赤ちゃんのことが多いんだけど、2歳くらいまでの小さな子供のこともある。夢の中では、自分の子供じゃない(親は別に出てくる)んだけど、私がその赤ちゃんとすごく仲良くなって、かわいいな〜って思ってお世話してる。
だけど途中でその子が病気か事故に巻き込まれて、瀕死の状態になる。その時の痛々しい赤ちゃんの姿を、いつも目が覚めてからも鮮明に覚えている。周りの大人たちは諦めてて、あんまり慌てた様子もない。私が助けないとこの子は死んじゃうんだ、と思う。
で、夢の中では病院に連れて行くっていうこともあったんだけど、その場で何とかしようとすることが多い。その辺はあんまり具体的じゃないんだけど、お腹をさすって水を飲ませたら、今までぐったりしていた赤ちゃんが泣き出したりして、「これで大丈夫だ、よかった」って思うみたいな感じとか…。(ディテールが曖昧だけど、とにかく蘇生したと確認する。)
私、実際には、子供に懐かれることはほとんどないのです。子供の頃から自分より年下の子が苦手で、親戚と会っても、お姉ちゃんは子供好きだからよく面倒見てすぐ懐かれるんだけど、私は何だか距離を取ってしまってとってもきまり悪い。母親が「○○ちゃんって呼んでみなさい、ほら」とか「このお菓子みんなにあげてきて」とか言って仕切るのがすっごい鬱陶しくて、そういうのに連れ回される度に世界が滅びますように…と心の中で祈っていたんだけど。
だからみんなが可愛がってる赤ちゃんを、自分がいとおしいと思ったり、守らなきゃと思ったりするっていう夢を見るなんて、昔だったら考えられなかったかもしれない。それに周りに人がいるのに、自分が何とかしなきゃって思うっていうことも、まさに最近自分の足で立って生きていこうって思い始めてからのことだろうな。

その2《自分の住んでる家のまだ知らなかったスペースを発見する夢》

この夢はとにかく多い。それが実家だったり、今住んでる家だったり、新しく引っ越したアパートだったり、架空の家だったりするんだけど、「あれ、使ってなかったけどこのドア開けたらこんなに広い部屋あるんじゃん!」とか「こんなに綺麗なトイレあったんだ!」とか「うちの実家の裏ってこんなに広い敷地があったんだ、すごい!!」とか。この夢すっごい楽しいんだよね。当たり前のように暮らしてた家にこんなに素晴らしい未知の場所が残っていたなんて!!ってすごい感動なんだもん。それで、「これからこのスペースを何に使おう!?」ってすっごいわくわくするの。
みん太にこの夢の話をしたら、「今まで使ってなかった脳の領域を使い始めたってことだね」と分析された。確かにそうかも。自分の中の忘れていたとか、ちょっとした特技とか好みとか、昔誰かに誉められたこととかをふいに思い出す時の「あれ、何でこんないいこと今まで忘れてたんだろう」っていう自分自身に対する新鮮な感じに似てるんだよね。

その3以降に続く予定。
お肌がキレイだからテカるんだよ。
画像:お肌がキレイだからテカるんだよ。
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posted by はなほの at 21:15 | らくがきと文章